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第16回地域人権問題全国研究集会 中止・開催地白紙に

21年02月4日 yoshioka

新型コロナウイルス感染拡大は第3波となり、ワクチン接種も3月からはじまるといわれているものの、ウイルスの変異体も複数確認されており、国内でも感染経路不明の変異体感染が報告されている等、いぜん新型コロナウイルスの収束に向けた流れは見えていない状況が続いています。

そうした中で、20201167日に岡山市内で予定されていた第16回地域人権問題全国研究集会の成功に向け、2019年段階には県下すべての自治体を訪問させていただき、お時間を頂戴して参加協力のお願いをさせていただきましたが、新型コロナウイルスの感染拡大により1年以上の延期が決定されました。

この間、県下の幾つかの自治体等から2021年開催に関して岡山県人権連事務局に問い合わせがあり、人権連の機関会議等で議論を積み重ねると同時に県内31団体で構成された第16回地域人権問題全国研究集会岡山県実行委員会でも研究集会の可否について検討してまいりました。

最終判断となる現地岡山県実行委員会での検討の結果、(1)第16回全国研究集会は中止することに、あわせて、(2)第16回集会の岡山開催はいったん白紙に戻し全国人権連に開催地の再検討を要請すること、の2点が決定されました。

岡山県人権連では、第5回実行委員会決定を受け、ただちに全国人権連本部にその旨を報告し、全国人権連常任幹事会で上記2点が承認されましたので、その旨、お知らせ致します。

なお、毎年2月に岡山市内で開催しておりました岡山県人権問題研究集会については、新型コロナ感染拡大の第3波の真っただ中でもあり、本年は開催致しません。今後、県実行委員会で県独自の研究集会のあり方について議論していくことにしていますので、この点も併せてお知らせ致します。

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第3次晴れの国おかやま生き活きプラン素案に対するパブリックコメント

20年12月12日 yoshioka

岡山県から第3次「生き活きプラン素案」に対するパブコメ募集が行われました。岡山県人権連からは以下のパブコメを12月11日に提出しました。このプラン素案は、県政の最上位に位置づけられているといわれているものです。それだけに問題点もいろいろと見られます。

3次晴れの国おかやま生き活きプラン素案に対するパブリックコメント

 

20201211

岡山県地域人権運動連絡協議会

議長 中島純男

 

[全体を通して]

 本プラン素案は、第1章基本的な考え方、2プラン性格において、「県政の最上位に位置づけられている総合的な計画」だと述べているが、そうであるならば、岡山県として策定している様々な指針(例えば人権政策推進指針等)との関係性等について触れられていないのは何故か。

後段の重点戦略では、主に2040年段階を見据えた戦略的目標として形成されており、憲法が保障する基本的人権をどう保障していくのか、県民の生活や生命にかかわる福祉や社会保障に関する制度の充実に向けた考え方等は見られない。

 併せて、2040年を見据えた現在の岡山県の姿に基づく推計と、重点戦略Ⅱ、Ⅲで述べられている目標としているところのギャップが大きいが、そのギャップを埋めていくための道筋ともいうべき県政の施策の強化や考え方が本プラン素案から見えてこない。このままでは、現状はこうだが、目標としてはこうだという入口と出口のことしかなく、年次計画はみえてこないが、この点について県はどう考えているのか疑問である。

 

1章 基本的な考え方

3 プラン推進の基本姿勢として、「顧客重視」「コスト意識」「スピード感」という3つの視点をもって市町村との連携・協働を基調としていくとあるが、ここでいう「顧客重視」「コスト意識」とは、もっぱら商業分野で使用される用語であり、行政が掲げるべき視点としては不適当である。県は、このプランにおいて県民を「客体」として位置付けているのは誤りである。県政が県民に対して丁寧に対応するということと、ここに掲げる「顧客重視」「コスト意識」というのは、あきらかに違う。

 「顧客重視」「コスト意識」という本プランの視点は、大企業誘致や水島コンビナート等への億単位の予算を確保する一方で、財政に余裕がないことを理由に福祉や社会保障関連予算を削減している(特徴的に表れているのは、単県公費医療費補助制度の予算削減を元に戻さないまま今に至っている)今の県政に特徴的に表れている。

では、企業誘致や水島コンビナートへの補助金は、費用対効果に照らしてみた場合、つりあっているかいえばそうとも思えない。実態は大規模な人員削減をした大企業に数億円の補助金を出す等、数百人が職を失う原因をつくった特定の企業へ巨額の県費を投入するわけであるし、そうした企業が新たに百数十人程度の雇用を打ち出しても、あまりに失うものが大きく、到底、県費投入の効果が得られたとはいえない。

本来、行政とは、たとえ費用がある程度かかろうとも県民や地域活性化にとって不可欠な事業であれば、県議会の承認を得て施策を実施する役割があるのではないか。そうした点が抜け落ちているように思える。

 

2章 長期構想(岡山の将来像)

1 2040年頃を見据えた変化と課題(1)本格的な人口減少・長寿社会の到来 

 「教育県岡山の復活」には、AIやロボット、ビックデータといった情報技術を基礎とした人材の育成が重要だと述べているが、これらは企業が求める人材を公教育において育成するというもので、本来、公教育が担うべき児童生徒に教育力を身につけさせることを目的とした教育政策とは相反する。

児童生徒の基礎学力の向上や豊かな人間性の育成こそが重要であり、そのためには、今回の新型コロナウイルス感染拡大で明らかになったように、少人数学級の導入や正規教員の数を増やして、教師がゆとりを持って児童生徒と向き合える時間をつくる必要があるが、プランには、そうした視点は見られない。

 「地域を支える産業の振興」を取り巻く変化と課題については、働く意欲のある人の能力を伸ばすことは重要だが、プランが示すように人生100年時代に入ろうとする中で、県政が現に医療や福祉、社会保障を充実させる施策を推し進めている中でそうしていくというのなら理解できるが、今の県政は医療や福祉、社会保障関連費をできるだけ引き下げようとしているのではないか。

農業分野においても本プラン素案で述べられているのは、ブランド化と商品価値の高い果物等を海外に輸出し攻めの農業を推進するというものであるが、いま海外の巨大農業メーカーに種子や農薬の権利が集中し大きな問題になっているが、日本においても種子法が廃止され岡山県では優良品種を守る要項がつくられているものの、十分とは言えず、2040年段階で農業を取り巻く法律や環境が現在より更に厳しさを増していることは否めない。こうした視点がプランから欠落している。

大規模災害や新型コロナウイルス等、新たな感染症による県民の生命・財産、住んでいる地域を守る上で、自助と共助があまりに重視されており、県として果たすべき公助の視点がすっぽりと抜け落ちている。大規模災害等が発生した場合、国や県、自治体が公助として、国民、県民、市民のために全力で頑張るという姿勢が見いだせない。

 

2 岡山の個性と優位性

(2)温暖な気候に恵まれた「晴れの国」

 県は、この間「晴れの国」を対外的な謳い文句にしている。確かに降水量が比較的に少なく、晴れの日が多いが、この間、西日本豪雨や大型台風被害、更に局地的なゲリラ豪雨の発生等を経験してくる中で、「晴れの国」の優位性を相変わらず強調できるかは疑問である。客観的なデータを基にした記述であるから、大きな誤りではないものの、記述に工夫が必要ではないか。

(9)福祉の伝統と地域活動等の先進性

 確かに記述されているように福祉の伝統と地域活動の先進性はあるが、県政がこうした福祉・社会保障といった分野や地域活動をどう応援してきたのか疑問が残る。このままの書きぶりとするならば、重点戦略の部分に県政がこの分野でどう向き合っていくのか記述が必要ではないか。

 

重点戦略Ⅱ 地域を支える産業の振興

2 企業の「稼ぐ力」強化プログラム

 確かに県内企業の99.8%は中小企業・小規模事業者であるが、課題として取り上げているAIIoTEVシフトへの適切な対応、施策の方向性で述べられているデジタル化等は、ある程度力を持っている、若い後継人材等がいる事業者には可能かもしれないが、高齢化、斜陽化が進んでいる事業者にとっては困難性がある。「稼ぐ力」は大切ではあるが、「稼ぐ」ことが困難な事業所を県政がどう応援していくのかがもっと重要ではないか。

 このままでは、「稼げない企業」は応援しないとも受け取られかねない。

 

4 儲かる農林水産業加速化プログラム

 県内消費よりも述べられているのは、県外や海外への輸出のことが取り上げられているが、本来、国内の食糧自給率は現在でも39%程度であり、いまの農業政策が続くと2040年頃にはもっと低くなっていることが推測されるが、そうした中で、担い手育成とともに農地の集積・集約化を推進するというが、中山間地等の多い岡山で遠くにある飛び地のような農地をいくら集積して書面上の面積を大きくしても十分な費用対効果は得られない。

 ヨーロッパでは、いまは、家に近いところにある農地経営を家族で営むことの方が有利だと言われている。農業に対する政策を根本的に考え直す時期に来ていると考えるが。

 ここでも「儲からない農林水産業」へは支援しないようにも受け取られかねない。

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菅首相による日本学術会議推薦の6名任命拒否問題への声明

20年11月24日 yoshioka

菅首相による日本学術会議の6名任命拒否問題に関する「声明」

 

 菅首相は日本学術会議から推薦された105名の会員名簿のうち、安保関連法反対などを明らかにしていた6名の任命を拒否した問題をめぐって、当該学術会議はもとより同会議の連携委員や学者研究者等から「学術への政治介入」は許されないと抗議声明が出された。

野党各党も菅首相の学術への政治介入問題に関して、過去の中曽根首相時代の「首相の任命は形式的なもので、学術会議側からの推薦はすべて拒否しない」とする国会での政府答弁との矛盾や、2017年に国会に報告することなく内閣法制局と秘密裏に「首相の任命拒否の可能」とする内部文書を作成していことも含めて、「任命拒否の理由」が国会で取り上げられ追及が行われた。この問題は海外でも大きく取り上げられ、波紋を広げている。

過去の戦争に軍事利用された学術研究を反省し二度と軍事利用に加担しないとする日本学術会議の設立主旨は、海外の学術会議とも共通している。学術研究は現在と将来を生きる者たちすべての財産であり、軍事利用を優先する国や一部の者たちの利益に帰属しないのが本来の姿である。

菅内閣の今回の任命拒否問題の背景には、「詭弁」を弄しながら進めてきた、第1次安倍内閣時代の教育基本法改悪と学習指導要領改悪、第2次安倍内閣時代の特定秘密保護法、自衛隊法改悪と海外で武力行使を可能とする閣議決定、安保法制改悪などに加え、「産官学連携協定」を名目にした大学や研究機関への軍事転用可能な研究費助成を推し進めることによって、事実上、研究機関を再び軍事利用できる道を開いてきたことがある。

義務教育から大学・研究に至る全ての段階で、自公政権が推し進めようとしている国のあり方に疑問を呈し、ときに強く反対を唱えてきた人たちの代表的存在として、今回、菅首相によって任命を拒否された6名の学者研究者がいる。

岡山県人権連は、その前身である全解連岡山県連時代から戦争放棄と平和主義、基本的人権など日本国憲法の基本理念に立脚して運動を展開してきたところである。運動を進める中で国民相互の自由な話し合いを通じて「部落タブー」等も克服するなど、言論・表現の自由を大切にしてきたところである。こうした視点から、この間の安倍・菅内閣による政治腐敗・政治の私物化に反対してきたところであり、今回の菅首相の日本学術会議に対する政治介入は学問の自由を侵すものとして許すことはできない。

菅首相は、日本学術会議の推薦任命拒否問題について、国民の納得できる説明をすべき責任があるにもかかわらず、問題を日本学術会議の運営とあり方にすり替えようと一部国会議員やマスコミを煽って誤った情報をふりまき、国民に誤解を生じさせる露骨な政治介入と卑劣な戦略を推し進めている。

こうした一連の国民を愚弄した菅内閣の政治姿勢は、益々国民の政治不信を深めるものであり、許されるものではない。菅首相は、まずは自らの説明責任をきちんと果たしたうえで、6名の任命拒否をただちに撤回すべきである。

20201121

岡山県地域人権運動連絡協議会常任幹事会

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2020年豪雨災害で熊本県へ全国人権連から38万円募金手渡す

20年10月12日 yoshioka

いま岡山では岡山県知事選挙の真っ最中ですが、先ほど10月7日付けで人権連の福岡県連と熊本県連の連名で2020年豪雨災害で大きな被害にあわれた熊本県健康福祉課に全国から集まった募金38万円を持参して手渡したとのFAXが入りました。この内、岡山県人権連からも全国人権連へ10万660円を送金しました。

岡山でも西日本豪雨を経験し、いまも倉敷市真備町や高梁市など被災地では 2千人を超える被災者が仮設住宅で生活されています。様々な要因から、なかなか自宅の再建に踏み出せない人たちが多いことに胸が痛みます。コロナ禍の中での避難生活、持病がある方も多く、高齢の方々も多いなかで、いまも災対連による支援が続いています。

毎年のように発生する豪雨災害や地震災害。国や県、自治体の災害対策の大幅な見直しが求められています。避難先の学校等が実は災害危険区域にあったり、避難場所となった体育館のエアコンやトイレの整備が遅れていたり、課題は山積しています。

コロナ禍の中で支援も難しくなっていると思われます。PCR検査がいつでも、誰でも、必要に応じて何度でも検査が受けられる体制が必要です。国や県のコロナ対策の本気度が左右するといってもよいでしょう。 

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いのちの砦(生活保護)裁判 名古屋地裁不当判決によせて

20年07月13日 yoshioka

少し前のことになりますが、全国各地の地裁で約900人が原告となってたたかわれている「生活保護」の切り下げは違法とする、「いのちり砦裁判」の全国初となる判決が6月25日、名古屋地裁でいいわたされました。角谷昌毅裁判長は、生活保護基準の引き下げは厚生労働大臣の裁量権の範囲内であるとして「棄却」を申し渡しました。

判決は、憲法25条の生存権にてらして、生活保護基準引き下げにかかわる厚生労働大臣の裁量権はその趣旨を逸脱しているか否かを司法が判断するはずだったが、角谷裁判長は憲法判断にはまったく踏み込まず、厚生労働大臣の裁量権の範囲内だとしました。

今回の判決の幾つかある問題点の一つは、厚生労働大臣の裁量権にかかわって、名古屋地裁で政府側の諮問委員会の副委員長は水準引き下げ 等については聞いていないと証言。国側が主張した「諮問委員会の意見を踏まえて厚生労働大臣が基準の引き下げを行った」というのは、そもそも成り立たない証言であったはずです。

もう一つの問題点は、裁判長が判決で政権政党である自民党の部会が生活保護の基準引き下げをいっていたと判決文で明確に示す等、常識では考えられない一政党の考え方を引き合いにした判決文となっていることです。

この間、森友、加計、自衛隊日報、桜を見る会など、様々な場面で省庁の官僚が安倍政権に忖度して、公文書に関わる、ねつ造、隠ぺい、廃棄と何でもありの政治の私物化を行ってきたことが国民の前に明らかになってきています。

この他にも、黒川検察長問題や広島の河合議員夫妻の選挙違反事件やコロナ感染拡大にかかわる様々な疑惑も払拭されないままくすぶり続けています。こうした中での名古屋地裁の判決は、ついに司法までも安倍政権のみならず、今度は自民党にまで「忖度」 したのかと思えるほど異常な判決文となっています。検察の次は司法、これは法治国家としてゆゆしき問題をも孕んでいます。岡山でもたたかわれている「いのちの砦裁判」、ここで司法はいまの政治をどう判断するのか、さらに憲法25条生存権をどう判断するのか、たたかいはこれからです。

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