明日行われるもう一つの投票・最高裁判所裁判官に対する国民審査
09年08月29日 yoshioka
いよいよ明日、衆議院選挙の投票日。国民の関心は新しい政権が私たちに何を約束し実行するのか注視することになるだろう。同時に明日の投票では、政党・議員を選ぶだけでなく、もう一つの重要な投票が行われる。最高裁判所の判事である裁判官を信任するのかしないのかを選ぶ国民審査だ。最高裁判所の判事(裁判官)は、東京高裁が名簿を作成し、内閣総理大臣が任命することになっている。
これまで148人の判事(裁判官)がこの国民審査の対象となったものの全員が信任された。裁判といえば5月21日からはじまった裁判員制度に注目が集まったが、足利事件のようにいまも冤罪(えんざい・無実の罪)で獄中に閉じ込められたり、死刑になったりしている事実はテレビやラジオ、新聞で大きく取上げられていないのが実情だ。
国民の多くが警察・検察・裁判所は常に正しい判断をしてくれるとただ漠然と感じている人も多いだろう。しかし、現実には冤罪が生まれている。これまで148人の最高裁判所の裁判官が信任されたが、投票方法に問題があるとの指摘もある。信任しない裁判官に×をつけろ、といってもその裁判官がどんな事件・裁判にかかわり、どんな判断を下したのかが明記されておらず、国民の多くは判断裁量をもたないまま国民審査をしなくてはならないのが実情。
さらに1審(地裁)より2審(高裁)、2審より3審(最高裁)と上級裁判所にいくほど、裁判では証拠調べや証人尋問などが改めてされないケースがほとんど。つまり上級裁判所はそれまでの判決と調書を机上で審理して判決を下すというやり方を踏襲し、新たな証拠を検討しようとしないのだ。足利事件の場合は、科学捜査として導入されたDNA鑑定の精度がより向上したもとで、誰が鑑定しても犯人と菅家さんのDNA型が「一致しない」ことが明らかになったから、最高裁も最高検察庁もなぜ菅家さんを犯人と認定したのかを審理しないまま、くさいものに蓋をするように事件の審理を打ち切ったのである。菅家さんも家族も支援者もこのようなあり方に納得していない。裁判にたずさわる者は、あたりまえのことだが真実を探求し、その真実から目をそむけてはならない。
明日の最高裁判所の裁判官に対する国民審査は、これからの司法制度を考える上で大変重要な審査(投票)になるだろう。