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「はだしのゲン」松江市と鳥取市のあり方におもう

13年08月20日 yoshioka

「はだしのゲン」と言えば、誰もが知っている8月6日の惨劇「広島への原爆投下」と戦争体験について書かれた名作である。世界の多くの国々の言葉に翻訳され、国際的にも高い評価を受けていることも周知の事実である。

戦争の悲惨さや旧日本軍のやってきたこと、人体実験的なアメリカの原爆投下の事実、第2次世界大戦の戦勝国も敗戦国も含めて、けして人類の起こした歴史的事実に目を背けてはならないということもこの作品は訴えている。閲覧できない状態にした松江市と鳥取市の言い分は、児童の保護者等から「みさせないように」という要請がきて、松江市では市教委の委員会に諮らず教育長が独断で口頭で市内の小中学校に児童の目に触れないようにする指示を行った結果、教育委員から批判が相次ぎ、電話やmailで抗議が殺到したという。鳥取市でも一部の施設で事務室に置いて子どもたちの手に届かない措置がとられていたという。

旧日本軍の行ってきた行為は、「はだしのゲン」だけにとどまらず、毒ガス・細菌・なんでもありの人体実験を行ってきた731部隊やそれに類する部隊の存在でもすでに明らかである。

児童書として向き、不向きという点を考慮したとしても「はだしのゲン」は、けして閲覧禁止とか手の届かないところに置いておくべきものではない。

そもそも、なぜいまこの時期になって、こうした問題が起きているのか疑問である。安倍首相と自民党のいう「美しい国」「愛国心」「自民党憲法改正草案」「天皇の元首化」「公益・公の秩序」「国民監視関連法案」「憲法9条・96条改正案」など、どうもこうした流れの中で出てきていると疑いたく問題だ。

当の島根県や鳥取県の人たちは、この問題をどうとらえているのだろう。知る権利との関連して考えてみる必要があるのではないか。

見せないようにするために「請願」「陳情」まで行っている人や団体もあるようだ。「はだしのゲン」をめぐって実写やアニメ映画が全国的に改めて取り組まれている中で、松江や鳥取以外にも同様のことになっていないかが気になる。

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8/6原水爆禁止世界(広島)大会へ参加して

13年08月20日 yoshioka

20130806-1.JPG86日、原水爆禁止世界大会(広島大会)は、広島県立アリーナを会場に各国代表や歴史学者のピーター・カズニック氏、映画監督のオリバー・ストーン氏等を迎えて開催され、岡山県代表団も県下各地から180人が参加しました。

岡山県人権連関係では、国民平和大行進の県内通し行進者の中島正智さん等、県連代表をはじめ地域原水協からの参加等も含めて約10名が広島大会へ参加しました。広島大会で挨拶に立った日本被爆者団体連合会(日本被団協)の坪井会長は、軍国少年として育つ中で、生死をさまよった自らの被爆体験をリアルに語り、いのちある限り核兵器廃絶と被爆者保障確立の運動を行うと声を大にして訴え、会場から大きな拍手が沸き起こりました。

20130806-2.JPG各国代表のスピーチの後、歴史学者のピーター・カズニック氏、映画監督のオリバーストーン氏から1930年代の第2次世界大戦から広島・長崎への原爆投下やその後のブッシュ大統領、現在のオバマ大統領までの一連の原爆政策にかかわる事実を編集・制作する中でみえてきたアメリカの虚実を描いたドキュメンタリー映画「オリバーストーン氏が語るもう1つのアメリカ史」についてそれぞれ30分程度スピーチが行われました。

オリバーストーン監督は、スピーチの中で、平和公園での記念式典について日本人のまじめな気質を見ることができた式典だったと述べる一方、式典は安倍首相のスピーチ等に象徴される「偽善」が垣間見える式典でもあったと鋭く批判しました。

オリバーストーン監督は「私は歴史学者のピーターと70年に及ぶアメリカ帝国主義の流れを再検証してきた。原爆と原発は当初からセットとして考えられ、被爆国である日本にアメリカの要請に沿って原発を受け入れさせたのは、必要なかった原爆投下を正当化するためにアメリカ政府としては当然の政策だった」と解説。「日本とともに敗戦国となったドイツは国家としての誤りを真摯に反省し60年代、70年代にはヨーロッパの平和勢力の模範となるような運動や政策を引っ張ってきた。2003年のイラク戦争でもブッシュ大統領にノ-を突き付けたが、日本はアメリカの衛星国としての政策を推し進めている。平和憲法を変えて再び戦争できる国づくりを目指している日本のナショナリズムの考え方が安倍首相やその一派に強く表れていることに強く危機感を覚える。今こそ日本の皆さんが危険な考え方をもつ勢力に対して立ち上がり「ノ-」を突き付け闘ってほしい」とアピールし大きな拍手が響き渡りました。集会の最後には岡山県代表団も全員壇上に上がって平和をアピールしました。久しぶりの広島大会への参加、行き帰りのバスの中では、行きは「期待」を帰りは運動に対する「確信」を語り合ったり、こぼれだねの話もあったりと、にぎやかでした。写真は平和公園の記念式典の様子と広島大会でのピーター氏とオリバー氏の写真。マイクの前にはオリバー氏。傍の速記通訳はすごかった、圧巻です。

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相次ぐ政治家の失言・不適切発言は、「誤解」だというが

13年08月5日 yoshioka

麻生太郎副大臣のシンポジウムでの憲法改悪に向けたワイマール憲法とナチスのやり方に学べばという発言は、国民的批判の前に当人が「失言」で誤解を招きかねないとして撤回。安倍首相や菅官房長官は「副大臣を止めさせる必要はない」と居直り発言に終始。ワイマール憲法と静かなうちに「気が付いたら変わっていた」という歴史の認識も間違っている。「恐怖と弾圧の粛清の中で」物を言わせず弾圧を強行したものであり、誰から麻生氏はこの話しを聞いたのだろうと首をかしげたくなる。

自民党が衆参両院で少ない得票で大量の議席を獲得したことを今回の麻生氏のように「国民からフリーハンド」で国政を信託されたと勘違いしているではないだろうか。自民党は、戦後大政翼賛会で活動してきた昔の名前ではやりにくいと、「自由党」と民主党」が一緒になって「自由民主党」を結党して以来、国民主権、平和、基本的人権、議会制民主主義を基底においた現行の日本国憲法を廃止して「自民党としての憲法」をつくることを最大のテーマとしてきた。

戦後66年が経過するなかで、若い自民党員や自民党支持者、更に自民党の「なんとかチルドレン」的な若手国会議員は、自分の所属している政党が戦前、どういった政治を行い、戦後、何を求めてきたかよくわかっていないのではないだろうか。安倍氏や麻生氏の憲法改悪に向けた発言や維新の会の橋下大阪市長の「慰安婦は必要」発言などは、別にマスコミによって偏向した内容が流されたとか、「誤解を生むような発言だった」というものではないだろう。

発言には背景に「思想」や基本的な考え方が前提として存在することは明らかだ。ましてや政治家である。それなりの高等教育を受けた者として、言葉たらずで説明不足だっとか、意図したものと全く真逆のことが紹介され誤解を生じたということではないだろう。

政治家に限らず、テレビ等の出演者でとんでもない発言を行う者も多い。表現の自由や知る権利、知らせる権利とのかかわりもあり、こうした発言についても国民の多くが知る結果となっているが、自民党憲法草案や治安維持法の現代版の復活かと批判された「人権侵害救済法」「秘密保全法」「コンピュータ監視法」等がずらりと並べば、何も言えなくなるし、何も国民には伝わらなくなる危険性も指摘されるている。コンピュータ監視法は民主党野田政権時代に成立しているし、自衛隊の情報保全隊も深くかかわっている。でも国民にはあまり知られていないのが実態であり、麻生氏の言うようにこの点においては、(国民が知らない)静かな間に着々と動きははじまっているようにも感じる。

政治家の失言や不適切発言は「誤解」ではいし、撤回しても、発言した内容は国民の記憶から消えない。

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