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安倍首相「集団的自衛権」行使で”限定的”"戦争する国にならない”

14年05月16日 yoshioka

昨日の安倍首相の私的諮問機関である「安保法制懇」の結論ありきの「報告書」を受けて行われた記者会見をどうみたか。各放送局では街ゆく人たちの声を集めていたが、やはり最も多いのは、批判、疑念に満ちた声だった。

そもそも安倍氏の母方の祖父、岸信介元首相が求めて成しえなかった、「戦後レジームからの脱却」という時代錯誤的で歴史修正主義的な「戦前回帰」をもくろむ亡霊とも呼ぶべき妄想に安倍氏が固執していることからはじまったのだが、被害をこうむるのは私たち国民だという点をしっかりとみておかなければならない。

いまでは自然で当たり前のように思われている「主権在民」「基本的人権」「民主主義」「思想信条・表現の自由」「平等」「平和」という私たち日本国民の生活と権利は、すべて現在の日本国憲法によって保障・確立されてきたものである。「自民党憲法改正草案」に示されているのは戦前の明治憲法(天皇主権・国民は「臣民」と呼ばれ、民主主義とか基本的人権の尊重という価値観はない)を彷彿とさせる「シロモノ」であるが、安倍氏とそれに同調する勢力は、一気に憲法9条を空洞化させようと「国家安全保障会議の設置」「特定秘密保護法」に続いて、憲法解釈をねじまげてでも閣議決定で「集団的自衛権行使容認」を無理強いしようとしている。

国民との約束を反故にした民主党政権への失望が自民党の大勝といまの第2次安倍政権を生み出した。「おともだち内閣」と揶揄されるだけに副総理で財務大臣の麻生氏も「ナチス発言」などで大ひんしゅくをかったことは記憶に新しいところだが、あとの大臣たちや石破自民党幹事長も様々な発言で、安倍・麻生氏と似たり寄ったりの認識の持ち主であることが明らか。

単に政権についた時の「内閣」の判断で、憲法という国の最高法規に関する解釈、しかも「戦争する・しない」という国民全体の生存にかかわる事項をどうにでもできると解釈することは、立憲主義に反する暴挙としか言いようがない。

昨日の記者会見で、安倍氏は、「集団的自衛権」の行使容認に関して、「憲法がいうように戦争する国にはけしてならない」と前置きした上で、「きわめて限定的だから」という表現を用いながらも日本国内とか日本近海とかの「どの範囲のこと」なのかという「地理的」問題について一切触れず、通ってしまえば「地球の裏側でも」という疑念に答えようとしなかった。このことによって歯止めはなにもかからないことを浮き彫りにした。

「国民の意思」を反映させる国政選挙は当分ない中で、この緊急事態に立ち向かうのは、強い反対の意思を示す国民全体の「声」つまり「世論」の結集しかない。すでに中央段階で署名の取り組みが始まっている。

「戦争する国・できる国」に戻してはいけない。

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