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今年度、岡山県との話合いを終えて

12年11月14日 yoshioka

県との話合い岡山県人権連と各団体代表による「2012年度県民の人権と福祉にかかわる要求書」に関する岡山県との話合いが、116日、岡山県庁で開催され、中島県人権連議長、県連常任幹事と自治体組織代表、県民運動実行委員会代表を含め約30人が参加して話し合いに臨みました。県側は浅野県民生活部長並びに竹井教育長をはじめ知事部局と教育庁の各関係課長が対応。文書回答をもとに、重点を絞って話し合いが行われました。

交渉団を代表して、中島純男県連議長と浅野県民生活部長があいさつ。重点項目に掲げた内容に対する回答を受けて、個別課題についてやりとりが行われました。以下は、その内容の要約です。

防災・原発事故にかかわって、福祉避難所の安全性の確保は、91日現在83町で44ヶ所が設置されている。この流れは今後も市町村別の実態に併せて増やす。地域防災計画の見直しについては、南海トラフ周辺地震のことも考慮してプロジェクトチームを設置し、来年3月を目途に修正を行うと回答。岡山への避難者に対しては、震災等緊急雇用対策事業による支援を行っている。住宅については、県営住宅、市営住宅を確保していると回答。

原発問題に関しては、立地自治体の理解を得た上で判断されるべきだと回答。

消費税・TPP問題については、県内でも大きな影響がでると予測され、国へ意見を上げる必要性があると各担当課が回答。

福祉・介護関係の職場で働く人たちの賃金アップにつながるよう意見を国へと求めたのに対して、県は、まだ全国的調査が出ていないが問題はあると認識を示したものの対応策は回答できなかった。

国保は、「相互扶助」との保険認識を示していたが社会保障の一部であると回答し、広域化だけでは構造的問題が解決できないとの認識を示した。

生活保護に関しては、申請者の意思が確認出来たら保護申請を受理するよう指導していると回答し、現場との乖離が見られた。

買物難民に関しては、オンデマンド方式に取り組むNPOには設立後3年間は法人県民税を免除。中山間地域協働支援センターにアドバイザーを配置していると回答。井笠鉄道問題について、地元参加者から県が積極的に関与してほしいと要請。

「いじめ」問題については、岡山県内まとめとして、914日までで1258件、8割は解決したと回答(どう解決したのかはやりとりの時間が少なくて不明)。引き続き解決に向けて取り組むと回答。

スクールソーシャルワーカーについては、現行6人を更に配置と増員を検討すると回答。今春高校卒業生の就職追跡調査の内容を回答し、来年春に向けて全力で支援体制をとると回答。障害者法定雇用率に関しては、就業可能な職域の研究をすすめ障害のある人の雇用に引き続き務めると回答。

低空飛行、オスプレイ問題に関しては、津山の参加者から問題点を指摘。

県営住宅については世代間のバランスをとるためにも収入基準の一部緩和や高齢者、多家族向け住宅の確保と優先入居を進めている。この考え方を市町村の担当者にも伝えていきたいと回答。

積み残しの課題は関係各課と調整することを確認した上で、竹井教育長の閉会のあいさつで話合いを終了しました。

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オスプレイ配備阻止、岩国緊急集会に1,100人

12年07月25日 yoshioka

各県代表幾度も事故を起こし最も危険な輸送機と呼ばれる「オスプレイ」の岩国と沖縄への配置をめぐって国民から大反対の声が広がっている中、722日、岩国市役所前の公園を全国各地から参加した1,100人が埋め尽くして抗議行動が開催されました。

この緊急抗議集会には、岡山からも72人の代表団が参加。また、岡山を含む中国各県人権連メンバーも参加していました。互いの情報交換をしている間にも、壇上からは、「オスプレイは事故続き、いまいまでに公式発表でも30人以上も死んでいて、尚且つ数十機が行方不明で詳細は米国政府でもつかみきれない」という海兵隊の異常な状態がある中で、以前からその危険性を指摘されていた「オスプレイ」の日本配備は絶対に許さない」「こんな危険なオスプレイが日本のどこで低空飛行で訓練を行うことに政府・防衛省は「安保条約があるから何も言えない」というのなら「安保条約自体を破棄させる必要がある」との発言がある度に、会場から大きな拍手が沸き起こっていました。

井上議員炎天下の下オスプレイ阻止市内をデモ抗議集会では、冒頭、見沢基地での戦闘機墜落事故の報告が行われた後、呼びかけ人を代表して、山口県安保破棄実行委員会の吉岡光則実行委員長から「明日、オスプレイの岩国米軍基地への陸揚げが予定されているがこれを許してはならない」と挨拶。各県の連帯表明で沖縄代表は、「沖縄では、保守・革新を問わず5万~10万人規模の抗議行動を計画中」だと報告が行われました。

この集会には、全ての政党へ実行委員会として「案内を送った」との報告がある中で、当日の集会には、日本共産党だけが出席してくれたとのこと。どうなっているの?との思いをしていると、日本共産党の井上哲士参議院議員と中国比例予定候補の岡山の石村ともこさんのお二人が登壇。代表して井上参議院議員が情勢報告を行い、「共に配備阻止の行動を行う」と力強い連帯の挨拶が行われました。

集会後、「危険なオスプレイは日本には必要ない」「陸揚げを阻止しよう」とシュプレヒコールを行いながら岩国駅までデモ行進が行われました。

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日経新聞を読んでいて

12年07月19日 yoshioka

本日付け日本経済新聞の1面に若者の就職難の記事が掲載されていた。シリーズ4回目の記事は「労働ムラ」が若者たちの雇用機会の様だけとなっているという内容だ。「労働ムラ」という聞きなれない言葉からすぐに「原子力村」を想像した。「労働ムラ」とは、厚生労働省に設置されている委員会のことを指す。労働側、経営側ともに同数の委員を選出して、雇用労働問題に関する委員会を構成しているのだが、日経によると連合選出委員のこともあってこの委員会が本来的機能をはたしていないという。ある委員は報告書をまとめる最終段階にはいって、辞表を提出し、茶番で出来レース的なものだったと受け取れる趣旨を語ったという。

連合と言えば言わずと知れた労使協調路線をひたはしる日本最大の労働組合組織。経営側から儲かっていないからベースアップどころか給与削減が提示されて以来、「賃上げ」要求を断念。その陰で、企業は正規職員を非正規労働に置き換え、人件費削減でぼろ儲け。こうした流れが今日まで延々と続いている。

非正規労働が全労働者の3割を占めるまで拡大した背景にこうした公的機関での関係や、財界、政界、労働界のつながりがあることをあらためて考えてみる時期にあるのでないだろうか。

新聞記事には、そのほかにも気になる点として「40歳定年制」のことが掲載されていた。いずれにしても何が起ころうとしているのか将来に備えて注視する必要があると思わせる記事だった。

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社会保障と税の一体改革・消費税増税反対宣伝行動

12年06月7日 yoshioka

岡山県人権連などで構成しいる「岡山県社会保障推進協議会(県社保協)」では、この問題について国会審議入り前から緊急事態として、多くの人たちに「社会保障と税の一体改革」と称する改悪の中身を具体的に知らせようと、JR駅頭宣伝、市街地宣伝、昼休み反対デモなどを「県下一斉統一行動」として提起、6月6日も一日を通して反対宣伝行動が行われました。

これと連動して、6月4日~8日にかけて、岡山県下すべての自治体での宣伝行動を実施しているところです。この取り組みは、地域社保協などに呼び掛け毎日2つのコースに分かれて宣伝カーで宣伝し、市街地や住宅街、役場前などで7~10分程度のスポット宣伝を行ってきました。

人権連からも3つのコースに参加して、マイク片手に訴えました。私の参加した昨日の高梁市・新見市・新庄村のコースは、高梁市社保協メンバー2人と落ち合って、午前9時に高梁市役所前でのスポット宣伝を皮切りに高梁市内を有漢、成羽、川上、備中と移動してスポット宣伝。昼に高梁市役所へ戻り高梁の皆さんとここでわかれたのち、昼食もそこそこに高梁市を後にして、阿新社保協メンバーと合流する前に、まずは新見市正田と哲多でスポット宣伝。午後2時前に新見の仲間たち11人と合流して新見市役所前でスポット宣伝。市街地数か所で宣伝した後、広島方面へ出発。神郷、哲西を経たのち、反対側の大佐でもスポット宣伝。午後4時過ぎ、ここで新見の皆さんとわかれて宣伝カーは一路山越えを決行してこの日最後の訪問地である新庄村へ夕方5時前に到着。すぐにスポット宣伝。

ここで少し休憩。実に休憩らしきものはこのときだけ。その後、宣伝しながら鳥取県を経由して一路新見市千屋へ向い、黒毛和牛のふるさとである新見市千屋でスポット宣伝。スポット宣伝をすべて終えて、国道180号線を南下、新見市街地経由で高梁市役所まで宣伝、この日の宣伝行動を終えたのは夜7時。ここで解散。いったい何キロ走ったのかという強行軍でした。

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解放戦士之碑にお参り

12年05月7日 yoshioka

碑みんなで岡山市内、小高い山の中に、あまり人に知られることなくひっそりとたたずむ「解放戦士之碑」に国民救援会、治安維持同盟の人たちとお参りに行ってきました。お弁当をもって、着いたらみんなで草むしりをして、碑が設置された当時のことや埋葬されているプレート版のことなどを改めて聞く機会となりました。碑は実に立派なもので、裏面には1969年建立と記してありました。国民救援会と治安維持同盟は、毎年4/29に掃除をしてお参りをしています。こうした歴史ある碑を継承していくことの大切さをお弁当をみんなで食べながら、あれこれと話し合いました。蕨があちこちに生え、小鳥がさえずり、早くもセミの音が。

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