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捨て猫の悲劇におもう

08年03月31日 yoshioka

我が家の近くで生活している♂のシャム猫。彼の年齢は不詳だが、約1年半ちかく前にそれまで飼われていた家の人が引越ししたため置き去りになったようだ。当初は、毛色も綺麗だったが、その後薄汚れてしまった。

彼は、まともに餌をとることを知らず痩せていた。みるに見かねて餌をやるとほぼ毎日顔を見せにくるようになったが、我が家の飼い猫とはよく喧嘩している。そんな彼が、あるとき顔に大変な怪我(両目の上が大きく切れて、お岩さんのような顔)をしていたことがあった。まだあまりなついていないので捕まえて医者にいけなかったが毎日の缶詰が効いたのか、傷は早めに直り今では元通りの顔になったのだが、いまではよく太って、まるで狸のような風貌に。

当初、この傷は猫同士の喧嘩だとおもっていたが、、、。近くの家の親子が、棒やほうき、時には大きな網をもって追い回していたのを見ていた人がいて、「あれでケガをしたんだ」とそっと教えてくれた。

なぜ、小動物に意地悪をするのだろ。彼が捨て猫で見た目がかわいくないからだろうか。いまの世の中、「親が子どもを」、「子どもが親を」そうでなくても、まわりの他人をいとも簡単に殺すという事件多発している。

田舎も都市化の傾向にある中で、人間関係が希薄になりつつあり、どこの町内でも住んでいる人たちの顔や名前、仕事や家庭環境などよく判らないという声を聴く。

ところで、猫のことに話を戻すが、動物愛護法の制定で問題は少なくなってはいるようだが、それでも近くでこんなことが起きると考えてしまう。動物を虐待するものは人間をも虐待する。学校や職場での「いじめ」が大きな問題になっている。背景に貧困問題や政治的経済的問題があることは言うのでもないが、それだけではないように思う。これは文部科学省が今年から始めようとしている「道徳教育」とは少し違う。もちろん共通する点もあるが。今の世の中一番かけているのは「思いやり」や「やさしさ」ではないだろうか。これは、学校で教えるものではなく親子関係や地域との関係の中で醸成されるものではないかと思う。

いまでは捨て猫のシャム猫は、我が家に餌を求めて朝と夕方やってくる。自分はあまり食べず他の猫たち(自分を追い掛け回す家の猫たち2匹)に自分の餌を分け与えている心優しい猫の姿に人間として教えられることが多い。今回の出来事であった。

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