朝日新聞「人・脈・記」に思う
10年02月24日 yoshioka
朝日新聞社は、ときおり様々な角度から「人・脈・記」を掲載しているが、今回のそれは、「部落差別」を焦点にした内容であった。10回連続となった今回のシリーズは、京都の「竹田の子守唄」ではじまり中段では部落の若者たちを取り上げ、最終稿あたりになると運動団体の代表を登場させるといった構成であった。(全国人権連からも丹波議長が登場した)
運動体の代表がそれぞれの立場から紙面上で意見を述べるということは理解できるものの、なぜこの時期に、このシリーズで、というのが気になる。今回のシリーズは全編(丹波さんの発言を別にして)を通して、「部落問題は根深く存在し、若者を含めていまもそれによって苦しんでいるが前向きに生きていこう」という色合いであったように感じる。
後ろ向きではなく、「前向きに生きる」ということ自体は、部落問題にかかわらず、どういった状況にあっても大切なことに違いないが、今回の「人・脈・記」シリーズに登場する彼、彼女たちは誰もが部落差別におびえ苦しんだことがあることを前提に書かれている。年配者になればなるほど、若い時代に様々な場面で確かに部落問題に出くわしたことがあるだろうことは理解できるが、いまもそうなのかといえば、どうなのだろう。その人たちをいつも「部落の人」という目でみているだろうか。そうでない人が多いのではないだろうか。また数名の若者が登場して、「部落差別はまだ厳しい」といえば、新聞読者は、「若い人も言っているのだから、やはり部落問題はまだまだ厳しいんだ」と受け取ることは容易に想像できる。
今回の「人・脈・記」には、「いまどき部落差別が本当にあるのか」という意見を述べる人は基本的に登場していない。
なぜこの時期か、という点で考えると、民主党政権になって、「解同」中央の意見が党の政策に反映されやすい状況になったということと、自民党以上に民主党が人権擁護法案に積極的であるということと無関係ではない。さらに福岡の立花町の自作自演の「差別事件」や京都・大阪・奈良で相次いで起きた「同和」をめぐる利権と癒着問題で失墜した解同の失地回復に向けた中央本部の意向を新聞という媒体を使って全国に発信することで、組織の存在意義を改めて示す機会ととらえたのではないかと思える。
事実、千葉法務大臣は就任演説で、人権擁護(救済)法案の早期成立を重要課題と述べ、国会では松岡徹参議院議員(解同中央本部書記長)の代表質問で、答弁に立った鳩山首相が、同様に人権擁護(救済)法案の成立に前向き発言を行っている。
ただし、重要なのは、もともと日本政府が人権擁護法案成立の根拠としている国連人権委員会の日本政府への勧告と似ても似つかないのがこの法案の中身であるという点だ。国連勧告では、政府からの独立性はもとより、公権力から受ける個人の人権侵害をどう防ぐかが重要な柱として求められたの対して、自民・民主両党とも口をとざしたままだ。
「人・脈・記」が「乱・脈・記」とならないように願うものである。
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